何もなくても。 

“信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性のゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えることです。これに対して安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じることを意味します。”
 
以前読んだ、美学者・伊藤亜紗さんの著書、「手の倫理」(講談社選書メチエ)の中にある、“信頼と安心”に関するこの一文のことを最近またよく考えています。自分なりの解釈では、何かを、誰かを信頼するということは、ほどよく手を放すことなのだと思っています。手を放さずにいれば、自分の安心は得られるけれど、それは真に他者を信頼しているということではない。大切であればあるほど、いつでも対象のためにある程度手を放せるような自分でいられるようにしたい。難しいことだけれど、そんなことを考えています。自分の安心のために何かにしがみつきそうになっている時がないか、いつもチェックしていたいと思っています。
 
何かがないと、誰かがいないと、不安だった時がありました。そういう時にはやはり安心を求めて、信頼という観点がなかったなと、少し反省します。けど、過去も自分次第で変えられると思っているので大丈夫です。今は、何もなくても、誰といてもいなくても、幸せだと思えています。不安があっても、それを行動する時の原動力にしないようにしています。信頼して、あずける。結果が思うようなものでなくても、それも信頼する。そういう自分の方が好きだな、と思います。
 
「手の倫理」の中には、“結果的には信頼の方が合理的”とも書かれています。分かる気がします。私の好きな、利他学にも似ている気がします。
 
相変わらず答えの出ないことを考えることが好きで、いつもこういうことを頭に巡らせています。たまに人に心配されますが、いたって通常運転です。
 
 
最近読んだ本
・わたしたちは無痛恋愛がしたい⑥/瀧波ユカリ
・青春ばかり追いかけている、なにもかも誰より一番慣れない/古賀及子・スズキナオ
・できないことは、がんばらない/pha