コーピング


車の運転が好きです。基本的に家とその周辺で事足りる生活ですが、たまに長距離運転がしたくなり出かける場所があります。その場所は三河地方の山奥にある静寂喫茶。電波も入らないその場所に行く時、たいてい私の頭の中はいつも混雑していて、それを整理するための時間としてここ数年欠かせない時間になっています。
 
これは、私にとってのコーピングのひとつです。コーピングとは“対処法”と訳される心理療法のひとつです。この言葉を知ったのは、評論家の荻上チキさんのラジオだったと記憶しています。チキさん曰く、コーピングのレパートリーをたくさん持つといいそうです。ご自身も鬱病を罹患した時、100個を目標に増やすことで暮らしを続けていけたとか。
平たく言うと気晴らしのようなものだと思います。気分を変えるために珈琲を飲む。それも細分化してみる。エチオピア、インドネシア、グアテマラ。銘柄を増やすことでコーピングがもう3つ。
 
この言葉を知ってから、すでに無意識に様々なコーピングを持っていることに気づきました。意識すると、何か心強さのようなものを感じました。誰といても、いなくても、自分のあれこれを自分で対処できるということは、暮らしの中の礎になるような気がします。
あまり人に相談めいたことをしない私にとって、すぐに手軽に出来るコーピングは欠かせません。珈琲を淹れる、気分で選べるように常に2種類は置いておく。お茶を飲む。ルイボスティー、烏龍茶、玄米茶。黙々とする自炊も私にとってコーピング。器選びもコーピング。猫との時間は言うまでもありません。
様々ある中で、本を開くことも私にとって大切なコーピング。根詰めた時、「あの本のあの一文が読みたい…」となり本棚のある部屋に籠ります。時間があればノートに書き写します。私は言葉の力を信頼しています。私にとって言葉とは、その文言だけではなく間合いや余白、奥行きも含みます。必ず言葉が落ちた私を引っ張り上げてくれます。
 
先日、はじめに書いた山小屋の喫茶に久しぶりに行ってきました。運転が好きなのは、ある程度行動を制限されているところにあるかもしれません。出来ないことが決まっていることによって、他の方向がひらいていく。ある種、瞑想のようなもの。数時間の運転と山小屋での無の時間でかなり頭の中がすっきりしました。帰り道、家に帰るのが楽しみになっている自分がいました。特に落ち込んでいたわけではないけれど、家に着くのが楽しみなことに気づけて、出かけて良かったと思った土曜日でした。
 
 
最近読んだ本
・戻れないけど、生きるのだ 男らしさのゆくえ/清田隆之
・デートピア/安堂ホセ
・メランコリーで生きてみる/アラン・ド・ボトン